NPO法人 北九州市を明るく元気にする会   泊 正明さん





 昭和18年満州国生まれ。終戦直後、父の故郷の鹿児島に帰郷。
 幼い頃から母に「周りのみんなに助けてもらいながら生きているのだから、恩返しを忘れてはいけない。」と言われて育つ。その言葉のとおり、人のために働くことが大好きな子どもに育つ。9歳下の弟の面倒は、母の代わりに率先してやったり、小学生の頃から子どもが運ぶには重い石炭ガラ(機関車から出たもの)を一輪車に乗せ、汗だくになりながら道路の補修をしたりしていた。
 昭和36年に八幡製鐵所(現:新日鐵住金)に入社。昭和51年から平成4年まで新日鐵八幡労働組合の専従役員を経て、平成5年2月に北九州市議会議員に初当選。以降、4期16年務めた。議員在任期間には、多くの環境問題に取り組む。議員引退後、やり残した問題を地元の住民と一緒に取り組みたいと一念発起し、「NPO法人 八幡東区を明るく元気にする会(現:NPO法人 北九州市を明るく元気にする会)」を設立。その活動が認められ、「北九州市まち美化貢献者環境局長表彰」等多くの賞を受賞。現在、代表を務める。

 


 「鉄は国家なり」。鉄の生産量が国力を表す格言に従うよう、泊さんが就職した頃は、八幡製鐵所(現:新日鐵住金)の高炉はフル稼働していた。しかし、環境問題は置き去りのまま。「当時このあたりは『死の海』と呼ばれていました。」近海では魚が住めずそう呼ばれていた。一方で、時代は高度経済成長まっただ中。街は明るく生き生きとしていた頃だった。
  最初、環境悪化について問題提起をしたのは、製鐵所近隣の地域婦人部。子どもを持つお母さんたちだった。泊さんが役員をしていた労働組合もこれに賛同し、経営者側に改善するよう要求。「経営者側も速やかに同意し、新日鐵(現:新日鐵住金)は、日本のなかでは先がけて、環境問題に取り組むことになりました。」この頃から、環境に関する活動に強い関心を抱くようになる。
 高度経済成長に陰りが見え始めた頃、新日鐵八幡製鐵所工場群を戸畑に集約するよう計画され、平成初期には大半が移設された。新日鐵八幡製鐵所(現:新日鐵住金)の跡地には多大な未利用地が発生した。その未利用地を活用して海辺に公園が設置されたが、手入れが行き届かず、荒れ放題となり、不法投棄や不審者の溜まり場となっていく。ちょうど、市議会議員を辞めた頃で、「ここを整備し、また明るく生き生きとした街にしたい。」という強い気持ちから、みんなに呼びかけを行った。その呼びかけに市民126名が賛同。「『地域の安全は地域で守る』という気持ちが伝わりました。」
 平成21年に活動をスタート。皿倉山を望む海沿いにある公園32,000㎡を市民が憩える場所にするものだった。「手出しは年間50万円にも及びました。」ボランティアをはじめた当初、様々な経費がかかった。  
  それから試行錯誤で、生い茂る樹木や雑草を伐採し、整備を終えるまで、3年もの歳月を要す。「振り返ると、この3年間が一番きつかったです。」
その後は、独学で植栽を学び、ボランティアに参加するみんなと花壇を設置。今では、遊歩道や広場には、四季折々の美しい花が咲く、八幡東区民が誇る公園となった。
 「毎日、ここに来てくれる人がいるんです。私も毎日ここにいますから、会った時には『おはようございます』や『いつもありがとう』と声をかけてもらえます。」
          
              *美しく整備された遊歩道


 


 公園を利用する人から、「是非、公園に植えて欲しい」とハナモモの木をいただいたり、花ニラをもらったりしました。地元のみんなに愛される公園になったと感じています。
 みんなで造ったこの公園にたくさんの花が咲き、ここから望める皿倉山に雪が積もったときは、本当に美しかった。


 


 ボランティアは、まずは、『達成感』があります。
みんなと一緒に同じ目的に向かって活動することは、『やりがい』にもつながりますし、できた公園は自分たちの『自慢』となります。きっと、ボランティアに参加したみんなが感じていることでしょう。
 私はこの会の最年少で74歳です。私より高齢の方がほぼ毎日元気に自転車に乗って活動に来てくれます。
 年齢に関係はありません。地域のことを一緒に考えませんか。


 


  NPO法人 北九州市を明るく元気にする会
  ℡ 093-662-6832
  *毎日、八幡東田緑地親水公園、8:15~11:00頃まで公園の整備活動をしています。


                 *NPO法人 北九州市を明るく元気にする会のみんなと